10月31日、「学びのワークショップ」の一つ、「縄文とSDGs」の講座が諏訪教育会館で開催されました。ゲストに尖石縄文考古館の学芸員で、現在、茅野市永明中学校跡地で遺跡発掘調査をしている堀川洸太朗さんと吉村璃来さんの若手のお二人に参加していただきました。ファシリテーター(進行役)はNPOの北原克彦が行いました。冒頭にお二人のゲストから現在の発掘の様子を伺いました。
このワークショップでは地球温暖化の課題と、縄文時代中期(今から約4000年から5000年前)、八ヶ岳山麓に日本列島の中で最も多くの人が住んでいた理由が、現在より気温が高かったということと関連があるのではないか、ということを基本テーマに据えて考えていこうと企画されました。それはIPCC【気候変動に関する政府間パネル】が“産業革命以前に比べて2℃より十分に低く保つとともに、1.5℃に抑える努力を追求する”ことで示した数値と当時の平均気温が酷似していることもあり、縄文時代中期の地球環境、人間と自然の関係を知ることで将来へのヒントがあるのではないか、ということでもあります。
セッション1として、「縄文時代の人口」について討論をしました。1984年、国立民族学博物館の小山修三先生が遺跡数を根拠に算出したデータによりますと、縄文中期には日本列島で約26万人の人がおり、そのうち中部地方に約7.2万、なかでも八ヶ岳山麓は約3万人もの人が生活をしていたとのことです。現在、この地域は本州でも有数の寒冷地ですが、なぜこのような場所に多くの人が住むことができたのか考えてみる必要がありそうです。人が快適に住むためには、衣・食・住が充足していること、豊かな水があることなどが欠かせませんが、やはり気候が暖かかったことも大きな理由ではないか、との話になりました。
セッション2では、「縄文の人々のライフスタイル」をテーマに意見を交わしました。気候が暖かかったことに加えて、住居については八ヶ岳山麓が南西面に向けて緩やかな傾斜をしていることが極めて好条件であったといえます。現在の茅野市のハザードマップと対比させて見ると安全な地帯に遺跡が多かったことも分かりました。また、食料については気候温暖に伴い常緑広葉樹、落葉広葉樹が広がり栄養素の高い多品種の木の実が豊富であり、また多くの動物が生息するなど、“豊かな森”の存在と不可分であったことも発掘調査などから立証されていることを改めて確認しました。“森はコンビニ”であったともいえます。ただし、自然の再生サイクルに影響を与えるほどまでには人が大きく手を加えることがなかった(しなかった)ために自然環境に依存せざるを得ず、一時期に過剰な採集することは控えていました。それが逆に縄文時代が長続きした原因でもあったとの指摘がありました。 縄文時代の人々の自然との共生生活が、そのまま現在、およびこれからの時代に適応できるとは思いませんが大きなヒントがあることだけは確かなようです。これからこのワークショップを通じそのようなヒントを考え、学びを深めていきたいと思っています。それが2030年をターゲット年としたSDGsのことを考える大きなモチーフになるはずです。